「人間とは何か」「向かうべき方向」「全体が幸福になる方法」について学ぶ - 与える愛(奪う愛やギブ・アンド・テイクの愛でない)で幸福に


幸福の種を撒いて育てる


2023年6月

愛する愛
「すべての人が、愛する愛のすばらしさを生来的に理解することができます。つまり、人間は生まれつき、愛を与えることに関して、幸福感を感じるようにできているからです。しかし、問題は、….. それ(愛する愛)をいかに実践するかです。….. この愛する愛の実現が、地上天国への第一歩なのです。」
       (『新・太陽の法』第3章 愛の大河)


 

私たちは、「愛されたい」と思い、愛が得られないことを不幸だと感じることが多いのではないでしょうか?

「この『愛されたい』という愛は本当の愛ではないのです。この愛は、釈尊が執着として一蹴した「『渇愛』『タンハー』、すなわち渇きにしかすぎないわけであります。仏教では『愛』という言葉を『執着』の代名詞のように使っています。そこにある代表的な考えは『男女の愛』に関する苦しみであります。….. この本能の愛が悪いほうに出て、『執着』あるいは『渇愛』として展開されたときには、そこに地獄界をつくいっていきます。」
     (『幸福の科学の十大原理(上巻)』第2章愛の原理)

 

「愛されたい」という思いは、与える愛ではなく、奪う愛です。

「大多数の人々は、愛ということを、「奪う愛」、あるいは「もらう愛」という観点から考えていることが多いように思います。特に女性はそうです。「もらう愛」「していただく愛」のことを、「愛」と言っているのではないでしょうか。その観点を変えないかぎり、ほんとうの意味で、心の安らぎというものは現れないのです。」
「お返しをもらうためにするのを愛とは言わないのです。そういう観点から愛を考えてはいけません。それはギブ・アンド・テイクであり、商売と同じです。やはり、愛というものは、見返りを求めないで、ただ与えていき、そこに喜びを感じていくのでなければ、本物とは言えないのです。」
(『幸福の原点』第2章 与える愛について―「幸福の原点」講義より)

 

奪う愛でも、ギブ・アンド・テイクの愛でもない愛。私たちが太陽の光や温かさを無償で与えられ、また様々な人によって生かされていることに感謝し、報恩の心で、他の人に無償の愛を与えましょう。そして、愛を与えることで得られる幸福感を味わいましょう。

                    

「知」について
人は生きている途上で様々なことに出会い、それぞれに対して自分で価値判断し、対応を選んでいかなければなりません。

「知」と聞くと、まず思い浮かぶのが学校で学んだ“科学的知識”ですが、それらは人が生きていく上で大事なことには、何も答えてくれません。幸福の科学では、仏法真理(神理、神仏の理)の学びが、何より大切であると教わっています。

「仏法真理の学習の大切さは、….. 第1は、『人間とは何か』という問いに答えるためです。第2は、『向かうべき方向』を教えるためです。第3は、『幸福の根拠』を示すため、あるいは、『幸福な生き方』を教えるためです。….. 『人間』『向上』『幸福』という3つの言葉が仏法真理学習のためのキーワードとなるわけです。」   (『漏尽通力』5章1節)

 

まず、人間とはどういうものであるか、ということを知らなければ、自分を知ることはできません。人間が向かうべき方向が分からなければ、自分が向上の方向に進んでいるのか、その反対の堕落の方向に進んでいるのか、判断がつきません。また、お互いを傷つけ合ったり、歪め合ったり、苦しめ合ったりしないで、「どのように生きれば、全体が幸福になっていくのか」といった「協調の方法」を学ぶことは、ユートピア社会を目指すためにはとても大切なことです。

「人間」「向上」「幸福」について。これから一緒に学んでいきましょう。




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