この世とあの世を貫く幸福 - 人間の自由と創造性 - 正しき心の探求
幸福の種を蒔いて育てる
2023年4月
幸福とは?
ITの発達により、遠くからでも、いつでも、直ちに連絡できるようになりましたが、人と人を結びつけるための通信技術が、人と人の直接的な結びつきを阻害するようにもなってきています。そして、コロナ禍がそれを増進させました。
オランダ統計局(CBS)の調査によれば、2021年には15歳以上のオランダの人口の11%が強い孤独を感じていました。また、精神医療従事者は不足しているというニュースも聞いています。
ハピネスコーチ(Happiness Coach)による幸福コーチングも、オランダのテレビで取り上げられていましたが、多くのデータから導き出した人間関係を良くする方法を学び、それを教えているようでした。BBC NEWS のビジネスレポーターによる記事(2021年9月30日)には、「このコーチングの費用は1時間60〜120ポンドなので、誰もが払えるものではない」という批判も書かれていました。
幸福の科学では、「人間とは何か」というところから幸福について考えます。霊的世界があるのかないのかは、このどちらかで、これ以外の結論はありえません。霊界世界があることを実証する報告は、数多くあり、世界的な宗教家たちは、霊的世界について何らかの発見をし、報告しています。そして、大川先生は、1981年に霊的覚醒を得られてから以後、ずっと霊的な世界と交流されていました。ですから、師にとって霊的世界の存在は、ごくごく当たり前の事でした。
世の中のいわゆる幸福論が、この世の話ばかりであるのに対して、幸福の科学では、この世的な幸福だけでなく、あの世的な視点からも幸福な生き方が説かれています。「この世とあの世を貫く幸福」です。「人間は、何かを学ぶためにこの世に生まれてきて、そこで学んだものを持って、実在の世界、本来の世界に還る存在なのである」というのが、根本的な考え方です。
「この世とあの世を貫く幸福」を得るためにはどうすればよいのかについて、師は数多くの著書で、さまざまな角度から述べられています。
実存主義と信仰
フランスの作家、思想家で、実存主義文学の代表者の一人シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、その著『第二の性』(1949年)の中で、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と書きました。
彼女の終生の伴侶は、20世紀の実存主義の旗手といわれるジャン・ポール・サルトルで、彼は「実存は本質に先立つ」とし、人間の実存(存在)は、あらかじめ決められた何かのために存在するのではなく、自分自身で選択していくものだとしました。与えられた状況の中に身を投じ、主観的な判断に基づいて自らが下した判断の責任を引き受けつつ、そのような責任のなかに生きることで自らの生きる意味を見出すと考えました。
また、人間はあらかじめ設定された設計図(本質)や目的を持たないがゆえに、自由であり、「人間は逃れることのできない自由の刑に処されている」(『実存主義とは何か』)とサルトルは考えます。
大川隆法著『新・心の探求』には、こう書かれています。
「この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。40階建て50階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。ところが、現在の進化論の主流というものは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上って、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上って、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。」
「したがって、第一原因論としての神というものも、合理性があるわけです。すべてこの世のものは、創られたるものとしての痕跡がある。….. 第一原因者としての神というのを考えるのは当然ではないでしょうか。」
自らの判断の責任を引き受けて、そのような責任のなかに生きる、というのはその通りかもしれません。しかし、人間の判断は自らのエゴに基づきがちです。神が人間を創られた思い、人間がどのような世界を創っていくのを望んでおられるのかを考え、ユートピアを目指し、判断していかねばなりません。
大川隆法著『太陽の法』には、このように書かれています。
「魂と呼んでいる各人の生命体は、はるか高次元の根本仏が、下位レベルで発現したもの ….. あなた方自身も、仏(神)の意識体の1部であり、仏(神)の自己表現のあらわれの1部だということができます。….. 1番目の特徴とは、創造的性質です。魂は、自分の意思によって、自由自在に自分をつくりかえていく性質が与えられています。つまり、どのような思いをもった意識体であるかを、自分自身で決定できるということです。….. あなたがたは、自分自身が仏(神)の一部であり、仏(神)の自己表現の一端をになっていることに、誇りと自信をもつべきなのです。これこそが、魂の真実です。過去の宗教、高度な哲学は、地上の人間にこのことを悟らしめるために、受けつがれて、発展してきたのだといえます。現在、進歩のいちじるしい自然科学、宇宙科学も、その究極の目的は、この魂の真実をあきらかにすることにあるのです。」
仏(神)が人間を創られ、人間を男と女として創られたのは、何らかの目的があるはずです。まず、人間として存在すること、男として生まれたこと、女として生まれたことを受け入れ、そしてそこから、皆で、それぞれの人が他を思いやりながら自由に生きられるユートピア社会を目指していきましょう。
人間の持つ自由な創造性が、仏(神)によって、その一部である人間の魂に与えられた素晴らしい特性であるのか、それとも苦しい「自由の刑」であるのか。神仏に向かう、理想の世界に向かう、自由な創造性を持った人間と、どこに向かえば良いのか分からないまま、自由でいることを強制されている人間と、どちらが幸せに生きることができるでしょうか?
幸福への出発点
幸福について、『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション@ 幸福の科学とは何か』 (第2章 幸福の科学とは何か)の中で、次のように話されています。
「幸・不幸というのは運命論ではないのです。….. 幸・不幸をつくっているのは、現在ただいまのみなさんの思い方、考え方、この判断の仕方なのです。これによって生まれてくるのです。….. 実体験として自分の心をコントロールしたときに、初めて「道が開ける」ということを知るのです。….. この「思いの力」「法則」を、知らないままに生きているということが、どれほど無駄な人生になっているか、ロスの多い人生になっているか。単にロスがあるだけではない。ほかの人たちまで巻き込んでいます。」
「『正しき心の探求』というのは結局何かというと、『まず、一日の自らの心の動きというものをよく見なさい。もし、自分が間違った方向に、地獄的な方向に心の針が動いていると思ったら、この針を即座に戻しなさい。天国のほうに向けなさい』と言っているのです。」
自分自身の心を正していくことを「正しき心の探求」といいます。
自分の心の針を天国のほうに向ける訓練を毎日毎日行いましょう。そして、「心の操縦というのは車のハンドル操縦と一緒なんだ」ということに気づき、一人ひとりが「心のコントロール方法」を身につけましょう。
「正しき心の探求」の具体的目標として四正道(愛・知・反省・発展)があります。これは自動車教習所で学ぶ運転の仕方のようなものと言うことができるでしょう。
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